教えのやさしい解説

大白法 484号
 
四箇の格言(しかのかくげん)
 四箇の格言とは、「念仏無間(むけん)・禅天魔(てんま)・真言亡国(ぼうこく)・律国賊(こくぞく)」というように、四宗(ししゅう)の教義の誤(あやま)りを簡潔(かんけつ)に破折した言葉をいいます。
 大聖人は、『建長寺道隆(どうりゅう)への御状(おんじょう)』に、
 「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為(そい)、 真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説(もうせつ)」  (御書 三七五n)
と仰せのように、四宗(ししゅう)の邪義・邪法の特徴(とくちょう)を明快(めいかい)に指摘(してき)し破折されています。
 天台が『法華(ほっけ)玄義(げんぎ)』に「法華は折伏にして権門(ごんもん)の理(り)を破(は)す」と説いているように、四箇の格言の意義は法華経の教えに基(もと)づく大聖人御一代(ごいちだい)の御化導(ごけどう)そのものであり、また滅後(めつご)における宗門の折伏の根本精神です。
 始めの「念仏は無間地獄」とは、念仏宗(浄土宗・浄土真宗等(とう))では、浄土三部経(さんぶきょう)を依経(えきょう)として法華経を「捨(す)てよ・閉(と)じよ・閣(さしお)け・抛(なげう)て」と蔑(さげす)み、娑婆世界のこの世(よ)に縁のない西方(さいほう)極楽浄土の阿弥陀仏を本尊とし、浄土往生(おうじょう)を説き、称名(しょうみょう)念仏の修行をしています。
 これは娑婆世界の主師親(しゅししん)である教主釈尊に背(そむ)く大罪であり、無間地獄に堕(お)ちることは必定(ひつじょう)のゆえに、大聖人は「念仏無間」と喝破(かっぱ)されたのです。
 次に「禅宗は天魔の所為(そい)」とは、禅宗(臨済宗(りんざいしゅう)・曹洞宗(そうとうしゅう)等)では、仏の真実の教えは文字を立てず(不立(ふりゅう)文字(もじ))、摩訶迦(まかか)(しょう)に教えの外(ほか)に別に伝えた(教外(きょうげ)別伝(べつでん))として「以心(いしん)伝心(でんしん)」「即心(そくしん)即仏(そくぶつ)」を主張しています。
 しかし、『涅槃経(ねはんぎょう)』に、「仏の所説(しょせつ)に随(したが)わざる者有(あ)らば、当(まさ)に知るべし、是(こ)れ魔の眷属(けんぞく)なり」とあるように、禅宗は仏の説いた教典を捨て去り、蔑(ないがし)ろにし、その高慢心(こうまんしん)は仏法破壊(はかい)の第六天(だいろくてん)の魔王の所業(しょぎょう)であるところから「禅天魔(てんま)」と仰せられたのです。
 そして「真言は亡国(ぼうこく)の悪法」とは、真言宗では、釈尊出世(しゅっせ)の本懐(ほんがい)である最第一(さいだいいち)の法華経を第三の戯論(けろん)と下(くだ)して真言三部経を依経とし、また、娑婆有縁(うえん)の教主釈尊を排(はい)して単なる理の上の法身仏(ほっしんぶつ)である大日(だいにち)如来を本尊と立てて鎮護(ちんご)国家を標榜(ひょうぼう)しています。
 しかし、これは国に二王(におう)を立てるに等(ひと)しく、このような主客(しゅきゃく)顛倒(てんどう)の教えを根本とすれば、その祈(いの)りはかえって家の柱(はしら)、国の柱を倒(たお)して亡国の因となります。ゆえに「真言亡国」と断(だん)ぜられたのです。
 最後の「律宗(りっしゅう)は国賊の妄説」とは、律宗では、小乗教の二百五十戒などの戒律を根本の教義とし、この戒律を守ることによって国師(こくし)として清浄(しょうじょう)を装(よそお)い、自ら国の宝であると称(しょう)しています。
 しかし、仏の教えにおいては、末法には戒律は無益(むやく)・無用(むよう)であり、現実から遊離(ゆうり)した教えこそ、かえって人心(じんしん)を惑(まど)わせ、国に害を与(あた)え破滅(はめつ)に導くばかりです。大聖人は、この国師と称(しょう)する悪師を「律国賊」と破(は)されたのです。
 これら四箇の格言は、破邪顕正(けんしょう)し、正法(しょうぼう)を弘通していくために忘れてはならない伝統法義(ほうぎ)です。